子供の偏食を抱えたまま家族で温泉旅館に行く、というのは小さくない決断です。野菜全般を残す、米しか食べない、特定の食感を一切受け付けない――そういう子と一緒に夕食の席につく時、親の方が先に身構えてしまうこともあります。けれど、宿側の料理長や仲居が「困った客」と思っているかというと、必ずしもそうではありません。問題は偏食そのものではなく、親の側の伝え方と求める範囲の線引きにあります。本稿は、これまでに家族で複数の老舗旅館に泊まってきた編集部の経験と、複数の旅館の料理長への取材を踏まえ、「事前に伝えるべき 3 つ」と「宿側にお願いしてはいけない 2 つ」を整理します。

※ 本文中で言及する目安価格は公開販売価格の集計に基づく参考値で、実際の予約料金とは異なります。1 泊 2 名利用時の 1 室あたり料金(税込)。

偏食を「宿のせい」にしない、という前提

家族で旅館に泊まり、用意された会席を子供がほぼ食べなかった――この経験を一度でもすると、次の予約のときに「うちは無理かもしれない」と尻込みします。けれど、料理長に話を聞くと、実際に困るのは偏食そのものではなく、当日になって「これは食べられない」と次々に返される展開だと言います。事前の情報が一行でもあれば、皿の構成は十分に組み替えられる。逆に言えば、伝えていない以上は標準の会席が出てくるのが当然で、それを残されても宿側は責任の取りようがない。出発点はここです。

子供の偏食を「宿のせい」にしてしまう構図は、たいてい次の流れで生まれます。親が「老舗旅館なら何とかしてくれるだろう」と無申告で予約する。仲居が当日「お子様用の献立は別途用意していますがどうしますか」と尋ねるタイミングで、親が初めて「あ、うちは魚も野菜も無理で」と告げる。料理長は厨房で在庫を組み替えるが、その時間で出せるのは結局焼きおにぎりと唐揚げで、親は「これだけ高い宿でこの内容」と落胆する。誰も悪意はないのに、全員が損をする。これを避けるための線引きが、以下の 5 項目です。

事前に伝えるべき 3 つ

1. 食べられる主食(白米 / うどん / パン)

「食べられないもの」のリストではなく、「確実に食べられる主食」を 1〜2 つ伝えるのが第一歩です。たとえば「白米と素うどんは必ず食べます。パンも可。それ以外の主食は残す可能性が高いです」と書く。料理長にとって、これが分かれば献立の核が決まります。締めの食事を変えるか、夕食の主食を一部置き換えるか、選択肢が広がる。逆に「米しか食べません」だけだと、夜食用の白米だけ用意する形になり、汁物や煮物の手は入りません。主食の許容範囲は、宿側の組み立ての起点です。

2. 確実に食べられる単品 3 つ

これが最も実用的です。「うちの子は鶏のから揚げ、卵焼き、フルーツは必ず食べます」と 3 つ書く。料理長はこの 3 品を会席のコースに自然に組み込みます。卵焼きを先付の位置に持ってくる、から揚げを焼き物の代わりに出す、デザートにフルーツを増量する。標準会席の流れを大きく崩さずに、子供の皿だけ調整できる。3 つは「これだけは絶対に食べる」というラインで、苦肉の保険ではなく、子供にとって嬉しい品である方がよい。「カレーは食べる」「白身魚のフライは食べる」のように、家庭で実際に何度も成功した品を挙げる。

3. 子供の年齢と、現実的に食べる量

「3 歳、ご飯は子供茶碗に半分、おかずは大人の 1/3 程度」のように、年齢と量を具体的に書きます。これがないと、料理長は「お子様膳の標準量」で組み立てます。標準量は多くの場合、4〜5 歳が一人前を食べる前提です。3 歳児の前に標準量が並ぶと、視覚的に圧倒されて手をつけません。量を控えめに伝えると、皿の品数は同じでも一品ずつが小さくなり、子供が「全部食べた」という達成感を得やすい。これは旅の翌日の機嫌にも直結します。

宿側にお願いしてはいけない 2 つ

1. 献立の全変更

「うちは偏食なので、会席を全部キッズメニューに替えてください」というお願いは、たいてい断られるか、断られないまでも宿側に強い負担をかけます。理由は単純で、会席料理は仕入れと仕込みが宿泊の数日前から始まっており、当日の朝に「全部変える」は物理的に難しい。仕入れた食材の在庫が余り、原価が宿側にそのまま乗ります。代わりにできるのは、先述の「確実に食べられる単品 3 つ」を会席の中に差し込むことです。会席のフォーマットは残したまま、子供の皿だけ品を入れ替える。これは事前申告があれば多くの旅館で対応してくれます。

もう一点付け加えれば、「料金を子供分だけ値引きしてほしい」というお願いも、献立全変更と同じ理由で難しい。会席料金は提供する皿数ではなく、その宿が一晩の体験全体に課しているチャージで、皿が一つ減ったから値引きという計算にはなりません。値引きを期待するなら、最初から子供料金の設定が明示されたプランを選ぶ方が早い。

2. 前日・当日の急な変更依頼

「明日急に泊まることになったが、子供の偏食対応をお願いしたい」「今夜の夕食に間に合うように献立を変えてほしい」――これは厨房の段取りを完全に崩します。仕入れは当日朝の市場で締まっており、夕方にできるのは在庫の組み替えだけ。組み替えで対応できる範囲は限定的で、結果として子供の皿は「在庫にあったもの」で構成されます。事前申告のときに用意できた品揃えとは、別物です。

申告のタイミングの目安は、予約後 1 週間以内、遅くとも宿泊の 7 日前です。1 週間前というのは、仕入れの発注が動き出す直前のラインで、ここで情報が入っていれば料理長は仕入れ段階から子供の皿を組み込めます。予約から宿泊までの間隔が短いときは、予約完了後すぐに電話で伝えるのが最も確実です。メールフォームより電話の方が、料理長への伝達速度が速い。

事例:個室会食と事前申告で偏食対応を成立させる宿

偏食対応の柔軟さは、宿の規模よりも「個室で食事を出す体制があるか」「料理長への伝達が早いか」で決まります。下記の 2 軒は、編集部が家族客の事前申告対応を確認した老舗旅館です。両軒とも事前申告 7 日前で組み替え可能で、個室会食の運用に慣れています。

湯之島館 — 下呂温泉(岐阜・下呂市)

Media Picks Score: 93 / 100  67 室、1931 年(昭和 6 年)創業の老舗旅館。本館・玄関棟と木造三階建ての宿泊棟が国の登録有形文化財。

目安価格 ¥42,000–¥130,000 / 泊 (2名1室・通常期)


湯之島館 — 岐阜・下呂温泉 · 1931年創業、登録有形文化財の木造三階建て老舗旅館
PHOTO: 湯之島館 — 公式サイトを見る →

下呂温泉の高台に位置する一軒で、家族向けには個室での会食対応が選べます。編集部が事前申告した際は、3 歳の子供に対して「卵焼き、白米、フルーツ」の 3 点軸で組み替えが入り、会席の流れはそのまま残った形で出てきました。本館の木造空間と高台からの眺望が、子供にも記憶に残る体験になります。家族風呂の運用もあり、湯あたりを気にせず短時間で済ませられる構造です。

  • 創業: 1931 年(昭和 6 年)
  • 客室数: 67 室
  • 食事: 個室での会食対応プランあり(事前申告制)
  • 偏食対応: 宿泊 7 日前までの申告で会席への組み込みが可能
  • 立地: 下呂温泉街の高台、JR 下呂駅から送迎あり

城西館 — 高知(高知県・高知市)

Media Picks Score: 94 / 100  61 室、1874 年(明治 7 年)創業。皇室御用達の格式を持つ老舗で、家族客の利用実績が長い。

目安価格 ¥19,000–¥130,000 / 泊 (2名1室・通常期)


城西館 — 高知市上町 · 1874年創業、皇室御用達の老舗旅館
PHOTO: 城西館 — 公式サイトを見る →

高知城下に位置し、土佐料理の系譜を引く会席と、家族客の個室会食運用に長く慣れた一軒です。お食い初めや七五三など、節目の家族利用が日常的にあり、子供向けの皿数や量の調整は標準業務として組まれています。編集部の取材時、料理長は「7 日前までに食べられるものと量を一行でも書いてもらえれば、こちらは仕入れから動かせる」と話していました。価格帯の下限が低く、家族構成に合わせたプランが選びやすいのも特徴です。

  • 創業: 1874 年(明治 7 年)
  • 客室数: 61 室
  • 食事: 個室会食対応、子供料金プラン多数、お食い初め対応
  • 偏食対応: 7 日前までの申告で会席の品入れ替えが可能
  • 立地: 高知市上町、はりまや橋・高知城まで車で 10 分圏

申告の文面、そのまま使えるテンプレート

予約後の連絡先に送るときの文面は、長くする必要はありません。次の 5 行で十分です。

  • 宿泊日と人数:◯月◯日、大人 2 名・子供 1 名(3 歳)
  • 子供が確実に食べる主食:白米、素うどん
  • 子供が確実に食べる単品 3 つ:鶏のから揚げ、卵焼き、フルーツ
  • 食べる量の目安:ご飯は子供茶碗に半分、おかずは大人の 1/3 程度
  • アレルギーの有無:なし(あれば該当食材と症状を明記)

この 5 行が宿に届けば、料理長は会席の流れに沿って子供の皿を組み立てられます。逆に「子供が好き嫌い多くて」だけだと、宿側は何も組み込めない。情報量は親が思うより多く要ります。

よくある質問

Q. アレルギー対応と偏食対応は同じ扱いですか?

A. 別物として伝えるのが安全です。アレルギーは「混入があると健康被害」、偏食は「残しても問題ない」。料理長の対応の優先度が違うため、両方を抱えている場合は「アレルギー:◯◯(症状あり)」「偏食:◯◯(残します)」と分けて書きます。

Q. お子様膳を頼むべきか、大人と同じ会席にすべきか?

A. 3 歳前後ならお子様膳、5 歳以上で食欲が出てきたら大人会席を「量少なめ」で頼む、というのが目安です。お子様膳は子供の好む品を集めた構成で、偏食でも残しにくい。ただし旅館ごとに想定年齢が違うため、予約時に「お子様膳の対象年齢と量」を確認しておくと外しません。

Q. 個室会食でないと偏食対応は難しいですか?

A. 個室の方が、子供が残しても周囲を気にせず済むという点で楽です。料理長への伝達はホールでも個室でも変わりませんが、子供本人と親の精神的な余裕はかなり違います。偏食の傾向が強い場合は、個室を確保できる宿を選ぶ価値があります。

Q. 当日急に「やっぱり食べられない」となったら?

A. 仲居に正直に伝えて、白米とお茶だけで切り上げるのが最善です。残った皿を無理に食べさせるより、翌朝の朝食まで待つ方が結果として親子双方の負担が軽い。宿側もその判断を責めません。

編集部から

偏食の子と旅館に泊まる、というのは交渉でも我慢比べでもありません。事前に必要な情報を渡し、宿側ができることとできないことの線引きを尊重する。それだけで、家族旅行の夕食が「気が重い時間」から「子供も座っていられる時間」に変わります。本稿で挙げた 3 軒・あ、いえ 2 軒の事例は、編集部が実際に事前申告のやり取りを確認できた範囲のものです。偏食対応の柔軟さは、客室数の多さや料金の高さではなく、運用の慣れと事前情報の有無で決まる、というのが取材を通じて見えてきた結論です。次は、年齢別の「お子様膳と大人会席の選び分け」を別稿で書く予定です。